平谷美樹の歌詠川通信

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「柳は萌ゆる」最終回を迎えて

岩手日報に連載していた「柳は萌ゆる」が、本日最終回を迎えました。
1年7カ月に渡っての長い連載でありました。
最終回が近づいた頃から「いつ本になるの?」「まとめて読みたいから、連載は我慢して読んでいない」という話をされるようになりました。具体的なことはまだ決まっていませんから、少々お待ち下さい。
連載開始した時にはすでに原稿を書き上げていたのですが、古山拓さんがどういうイラストを描いてくれるか毎日楽しみにしておりました。
以前から、「友人の書家、伊藤康子さんの題字で。画家古山拓さんのイラストで連載をやってみたい」と願っていましたから、その夢が叶った企画でありました。
以前、河北新報で「沙棗――義経になった男」を連載した時も、今回も、執筆開始時から明確にラストシーンが浮かんでいました。そこに向かって突き進むように書き綴った物語ですが、思い返してみれば、両方とも「植物」で物語が結ばれています。
「義経になった男」では「沙棗」。「柳は萌ゆる」では「柳」。意図したわけではなく偶然です。昨日、ある方と能の話をしまして、「能では植物の精霊が物語の目撃者になることが多い」ということを知りました。
「義経になった男」では沙棗という植物がキーワードになります。「柳は萌ゆる」では、植物としての柳というよりも、象徴として随所に登場しました。
来月刊行される「鍬ヶ崎心中」では、桜の古木が出てきます。カバーも桜の絵です。東北、岩手を舞台に描くわたしの作品には、もしかすると植物に関わるものが多いかもしれません。
岩手の歴史にはまだまだ、あまり語られていない面白い出来事があり、興味深い人物がいます。書きたい作品が現在3~4作ありますが、舞台となる時代をピンポイントでしか勉強していないので、まだまだ知らない知らないことが多く、これからもその数は増えていくでしょう。
わたしが書く作品の舞台は江戸が多いのですが、岩手の歴史もぽつりぽつりと書いて行くつもりです。

ああ――。最終回を迎えるとなんだか寂しいですね。
作品の脱稿時には達成感がありますが、連載の終了時には寂寥感があります。
もちろん、作品世界にいつまでも浸っていたいという思いはありますから、脱稿した時には寂しく感じますが、やはり「書ききった」という達成感の方が強いのです。
アマチュアの頃は、1作書き上げると抜け殻のようになっていましたが、小説で飯を食うようになってからは、そんなことは言っていられません。脱稿したその日から、別の作品を書き始める日々です。
現在は、電子書籍で毎月1本書いている短編と、江戸を舞台にした新しいシリーズ物を並行して書いています。プロットの返事待ちの作品が1本。余裕がありそうなので、嫁入り先の決まっていない、岩手を舞台にした話を書こうと思っています。
さて、今日は江戸の景色に浸りながら怪異譚を書きますか。

〈文・平谷美樹〉


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by y-hiraya | 2018-02-17 15:54 | 雑記 | Comments(1)
Commented by 匿名 at 2018-02-18 10:07 x
昨日、盛岡先人記念館に新渡戸稲造のことを学びに出かけました。「楢山佐渡の介添人を頼まれた人物は、彼の友人である新渡戸稲造の叔父にあたる人でしたが、彼は佐渡の首を切ることが耐えられず、怒りをもってこれを断わった・・・。」ということをある書物で読んでいた私は、学芸員の方に、「切腹の介添えを断っても、殺されないのが不思議だ」と質問したところ、「そういえばちょうど岩手日報の連載小説でそのような話がまさに書かれているところだ」と言われました。あいにく私は日報を読みませんので、なんと奇遇と思いましたが、学芸員曰く、稲造の叔父の話は出ていない、とのことでした。当然話がややこしくなるし、小説だから仕方ないだろうと私は思いました。ただ、私は史実においていえば、友人の首をはねたくないと断った稲造の叔父がいたこと、武士道に育つも、おかしいことはおかしいと背いた人がいたことに感銘を受けました。司令官の命令を断ったあと、すべての財産を売り払い、岩手(盛岡)を去り、東京で稲造の養父となり、財産を売った金で稲造のアメリカ留学資金を出してやり、そうやって国際人新渡戸稲造が輩出されたのは、驚くべきことです。武士の敗北と謀反がなけば、世界平和を希求した新渡戸稲造は出なかった。そこまで考えが及ぶ人が岩手にどれだけいるかは???ですが、取り留めなくなりしたが、今後も岩手の小説をお書きになりたいとのこと、楽しみにしております。